ずっと僕らは一つなんだ
いつから、どのくらい好きだったかなんて言ったら、たぶんそこまでではないんだと思う。今でも知らないことのほうが多い。
子どもの頃から日曜日はDASHを見て、時々ドラマを見て、兄が買ってきたCDを延々と流していたのでそれを聴いて過ごした。TOKIOの音楽はいつも生活の中にあった。
ライブに行き始めたのは随分遅かった。初めて行ったのは2009年。遅い。
でも楽しかった。初めてのロックは最高だった。バンドTOKIOにやっと出会えた瞬間だった。
他に行ったいくつかのグループのコンサートも勿論楽しかったけれど、団扇もペンライトもいらない無骨なライブが自分にはしっくりきた。
それから番協に足繁く通った。何度も何度も。
はけ際に達也が小さく手を振ってくれたこともあった。
立ち見でぎゅうぎゅうに詰め込まれてるときにスタッフが道をあけてくださいと叫び、モーセが海を割るが如く通って行ったTOKIOとの距離があまりに近くて、悲鳴が声にならなかったことを今でも昨日のことのように思い出す。TOKIOはめちゃくちゃにカッコ良かった。
PLUSツアーからは遠征もした。
最近諸用で当時の日記を読み返したらオナラの話でゲラゲラ笑っていたことや太一がぴょんぴょん舎で爪楊枝を飲み込んでしまったことなどが記録されていた。もっと何かあったんじゃないか自分。
震災の影響で振替公演となった武道館には福島の方を招待しライブに来ていただいた。義理堅く誠実なTOKIOはやっぱりカッコ良かった。
翌年の1718ツアーでは東北公演で「特別な時間」を設けて、震災後にリリースした見上げた流星を披露してくれた。
正確な言い回しはもう覚えていないけど長瀬は『僕らにできることは何だろうって考えて話し合って、やっぱり音楽で伝えるのが一番いいんじゃないかと思った』そんなことを語った。
長瀬の言葉、バックに流れる村の景色やお世話になった沢山の人達の笑顔、5人の姿に泣きじゃくった。
終演後、隣にいたマダムに「楽しかったわ、ありがとう」と声をかけられ握手した。TOKIOのライブはいつもあたたかかった。
TOKIOの根底にあるのは音楽だ。DASHのイメージから農家だ業者だとどんなに揶揄されても、TOKIOはバンドだった。
福島公演には明雄さんが来ていた。数メートル先にいた太一がずっと2階を見上げていて、その目線の先に明雄さんがいた。友達と明雄っちには敵わないやって笑った。だって6人目のTOKIOだから。
20周年はお祭りだった。
ほぼ毎週ライブがあったから、運動になったのか少し痩せた。
雑誌向けに撮った写真に映り込んだ。
今でもロック画面はこの写真にしている。
オーラスの後の飲み会で、別れ際にまた来年とも言えなくて、「また…!」とだけ言って解散した。
次がいつかなんてわからなかった。殆どの人とそれきり会えていない。
その後の番協やイベントにも、都合がつく限りはなるべく通った。
ライブのラの字も出さないTOKIOから、友人達は次々離れていった。
25周年までライブをやるつもりはなかったらしいと、後になって聞いた。
1人になっても往生際悪く細々と番協に行き続けた。
2017-18年のカウコンにも参加した。5人が揃った姿を見たのはそれが最後になった。
2018年4月25日、達也が事件を起こしていたことが発覚した。
5月6日、彼は事務所と契約解除、芸能界から姿を消した。
2週間ほどの間、ワイドショーやら週刊誌、Twitterでもネット記事でも散々言われた。針の筵だった。
TOKIOだけ好きだったらもっとダメージが大きかったかも知れないと言う子がいた。本当にその通りだと思う。
他の夢から遠ざかって、今さら他のグループやジャンルには食指が伸びなくて、保険をかけるように、取ってつけたように他所に移るのは違う気がしていた。
夢が終わることに気付いていたのに次を探さなかった自分は、終わりかけの夢にしがみついていたのかもしれない。
一つに絞ることはないさ/一つでもあれば最高さ TOKIOの歌詞にいつまでも甘えていた。
余談だが、この2年間猫カフェに通い詰めたら猫達に随分懐かれた。猫かわいい。信じていいのは猫だけ。
さて、事件以来、音楽番組にTOKIOが出ることはなくなった。ジャニーズ特集と銘打たれても当然飛ばされる。
どこを探してもTOKIOはいなかった。
映せないならモザイクでもかけて流してくれたらよかったのにと今は思う。TOKIOの音楽は確かにそこにあったはずなのに、まるでないものとして扱われた。腫れ物のようだった。
今年のテレ東音楽祭で顔がわかるほど映ったのには正直驚いた。手放しで喜んでいいものか戸惑った。
山口くんの音がなければTOKIOの音楽は成立しない。
会見での長瀬の言葉がずっと引っかかっていた。
そうは言っても、どう足掻いても彼を戻すことはできない。性犯罪はそう簡単に許されるものではない。相手が、被害者がいる。現実は厳しかった。
「4人でやればいい」「丸山に代わりにやってもらいなよ」「誰か有名なベーシスト入れたら」周りの言葉は全部拒絶した。割り切れなかった。
後輩グループで誰かが辞めるたびに、残るメンバーでステージに立ち続けるのを、すごいやと思って眺めていた。
減っても減ってもライブやるの、活動し続けるの、簡単なわけないのに。
4人になってからも現場には行った。
自分の感情がよくわからなかった。
実際に4人でいるTOKIOを目の当たりにしても、TOKIOが4人でステージに立つ姿は想像できなかった。
かと言って5人で立つことも叶わない。
どこにも活路を見出せないまま、時間が過ぎた。長瀬が辞める噂も聞こえていた。
長瀬辞めちゃうの?と聞いてくる人がいた。いつかそんなときはくると思ってるよ、と答えた。事務所に残る理由が見当たらなかった。
事件前から友達が全員で事務所を出たらいいと言っていたのを思い出しては、大事なもの、DASHと福島とフマキラーだけどうにか残して事務所を辞めれないかとばかり考えていた。
共に闘ってきた仲間は死ぬまで仲間!太一の言葉が心強かった。
リーダーは結婚したとき、6人目のTOKIOである明雄さんの墓前に報告に行った。思えばこのときもTOKIOは5人だった。
長瀬が新しくギターを作ったことも、太一がおさんぽやタヒチで歌ったことも、松岡がドラマでドラムを演奏したことも後輩に曲を書いたことも、音楽に関わっている彼らを感じては少しの光を見ているような気になっていた。
7月22日
19時すぎ、仕事終わりにTwitterを見た。TLにFCより先に出すなというツイートを見てすぐに閉じた。
少し間を置いて恐る恐るYahooアプリを開き、記事を薄目で読んでこれもまた閉じる。
じきに正式発表があるなら、待つしかない。とにかくネットもLINEも見ないようにした。
待っている間、猫が寄り添ってきた。随分懐かれたものである。気が紛れた。
そして20時35分、メールがきた。
3人連名のメッセージには、長瀬を送り出すことと会社を設立すること、そのあとに長瀬からのメッセージ。
遂にこの日が来たと思うと同時に会社設立がどうにも面白かった。
具体的にいつ辞めるという記述がなかったので、ふわっと辞表を渡されたような感じだった。時期については記事を見て知った。
バンドから、会社へ。
辞めてしまえば簡単なのに楽なのに、ずっと辞めなかった彼らが新しく切り拓いた道は思っていたのとはだいぶ違っていたけど、彼ららしかった。
長瀬のこれからについても、彼の頭の中の音をいつかまた聴ける日が来ると思えば嬉しかった。
本当にずっと、事件以来ずっと止まったままだったから。
彼の感謝と誠意は充分すぎるほどに感じた。自分が宝物だと思っているものを、長瀬も宝物だと言ってくれて嬉しかった。
インタビューの中で松岡が「(音楽活動を)やろうと思えばできたけど、メンバーでそのタイミングじゃないとジャッジした」と話した。5人で大いに語っていたというのも。
タヒチで緊張した面持ちで報告する太一が「僕らは4人ではなくて、5人です」と言い切った。
2年間、今活動しているメンバーのことを言うときは4人と表現するけれど、TOKIO全体のことになるとメンバーだとか仲間と言っていたように思う。
そこに達也もいるのかなとぼんやり感じていた。
ずっとTOKIOはTOKIOのままだったのだとわかって安堵した。
メールがくるまでネットを開かなかった甲斐もあり、本人達からのメッセージを先に受け取ることができたので、一昨年のあのときよりも緩やかに受け入れられた。
音楽活動について、彼らが決めたならそれでいい。
どうするつもりなのかああでもないこうでもないと思い悩んでいたのは杞憂に終わった。
ただ未練はあるので、気の長い話になってもいいから、5人でまた何かやろうかって気持ちになったら、もしよかったらそのときは呼んでほしい。
太一曰く僕らのベースは音楽。これからは趣味になる、とのことなので、「30周年のときはメンバーだけで何かやろうよ」と松岡がトキステで言ってたのをひとまず実現して欲しい。
精一杯、生きて行こうね。
そのあかいひとみは
最初の2週間は毎日毎日泣きはらした目で過ごしていたように思います。今は落ち着いたかな。私自身のプライベートも色々あったからな…そのあたりのしんどさもあったかな。
茂子ちゃんのリリイベもあって、どうにか、持ち直したような。ってのは前も言ったかな。
今日のMUSIC DAYにTOKIOがいない現実が辛くてまた苦しくなったりなどはしているけれど、TOKIOとしてまた歌を届けたいと語ったリーダーの言葉にいくらか救われている。彼にはどんな未来が見えているんだろうか。白紙になった音楽は、音楽活動は、どんな風に描き始めているんだろうか。達也は、取り戻せるだろうか。
伏線の回収に定評のあるTOKIOなので今後も目が離せないわね!
平成のと銘打った割にメドレーで平成彩ったSMAP/TOKIO/KinKiの曲をやらないあたり世界の歪さを感じずにいられなかったし滝翼もいないし、結局苦しかったですMUSIC DAY。前行った番協ほんと楽しかったな。それとキンプリの衣装がグレードアップしていたような。岸くんお歌上手いよね、好き。
あとはなんだろうな、なにかと収録休みがちだった安田がようやく事情を話してくれて、久しぶりにボク。を更新してくれて、少し気持ちがほぐれたかな。去年の冬に収録休んでたのはそれだったのか、って腑に落ちた。
心配が全てなくなったわけではないし今後も収録は休むようだけれど、そのぶんしっかりリハビリなり治療なり受けてくれたらいいな、と。身体が資本だからね、どうか元気でいてほしい。
テレ東音楽祭でのしんどそうに踊る様には心配が増すばかりだったもの。最後彼が笑ったときにほっとしたくらいには今のわたしはだいぶチョロい。
あとは事情説明の映像の横山の目が死んでてそっちが心配。年長者がんばって。大丈夫みんないる。
昨年の俺節での魂を削るような芝居にも腑に落ちるところがあって、それだけ大変なときによくやったねよく生き延びたねって伝えたい気分。本当に俺節という舞台は素晴らしかった。生命力というか、エネルギーがバシバシ伝わってきてしんどすぎて涙止まらなかったもん。また今度まとめよう…いつになるかわからんけど。
小さな一歩
あれからどれくらい経ったかなーって思ったけどまだ3週間と5日なんですね。もう3年くらい経ったような気さえする。
最初の2週間で一生分落ち込んだ。
過熱する報道も飛び交う憶測も怖くて苦しくてたまらなかった。今は冷静だけれど、わたしが落ち込んだって仕方ないのだけど。辛かった。
I believeの「軋んだ世界は 銃声鳴り響き 僕ら耳塞いだ」そんな気分でした。
有り難いことにTOKIOの唄には彼らが紡ぐ言葉と音から成るものが本当にたくさんあってですね、彼らが見てきた景色そのものを思い浮かべてしまうんですね。
もちろんHIKARIさん光太郎さんはじめとする作家さん方に頂いた曲も大好きです。愛してます。それらも含めてTOKIOの詞はTOKIOの歴史だと思っています。
ただ彼らを好きなだけのわたしがどれだけ寄り添えているかわからないけど。全てを見てきたわけじゃないから。
5月6日、達也の契約解除を知ったときは神宮球場にいました。
茂子様の背中綺麗だったなぁ、フラッグツアー町田のときも思ったんだけど彼女(?)の肩甲骨のラインとても綺麗なんだよね。生背中、麗しくて素晴らしかったです。
試合の途中でしたがTwitterを見てメールを確認し、発表を見たあとの動揺が酷く最後まで試合を見れずに帰路につきました。
なので結果は帰宅後知りました。スワローズ勝利おめでとうございました🎊
つば九郎が可愛くてなー、野球はよくわからなかったのだけど帰ってからスワローズ公式アカウントフォローしました。ありがとうタフマン。飲みます。
解雇とも脱退とも言わず「契約解除」の表現に何らかの意味を感じずにはいられないですが、まずは一旦離れて、療養と贖罪に専念する、と。それはよい。そうしたほうがきっといいのだと思います。どうか精一杯生きてください。精一杯、生きて行こうね。
報道もここでひと段落したようなところがあるので、そこでやっと冷静になろうとするようになりました。
(決断を)TOKIOに委ねますと社長は言ったけれど、当のTOKIOが自分達で決められず社長に判断を任せたの、ここの関係性すごくゾクゾクしたよね。ジャニーさん生きててくれて本当にありがとう。
何が正解かはこれからわかるかな、わからないかもしれないけど、とにかく母体としてのTOKIOは残った。なくすよりはよかったと思いたい。
苦しくてもまた進むだけなんだよなぁ。まだまだ、これから。
彼らが抱えているものはあまりに大きすぎて多すぎるんだよなぁ、とつくづく思う日々でした。
解散してしまうのが、きっと1番楽なんです。なくしちゃうの。
ステージに立つためにはやっぱりどうしても揃っていなければならないというところが物理的にも心理的にもあって、今この状況でそれが叶うはずはなくて、だからこそ音楽活動が白紙で宙に浮いてるわけで。
でも、じゃあバンドができないなら解散しちまえ!って言えるかというと、彼らにはDASHがあり、福島がある。更に言うと他の番組やCM、個人仕事もある。
どれもTOKIOだからいただいたもの、TOKIOだから任されてきたもの、TOKIOだから続けてきたもの。止まれなくなってたね。
かつてバンドに専念したいと事務所に直談判しに言って、ならDASHやめろって言われてできなかったなんて逸話が頭によぎりました。
彼らの決断の前に一部番組の進退が決まってしまったのもあるかなぁ。
「番組続けます!」「TOKIOやめます!」「ええっ?!」ってなれないもんなぁ無理無理駄目駄目。
これらがあるからバンドやれないんだって感じる部分もそれなりにあるからもどかしいところだけど、でも、これらも含めてTOKIOなんだよなぁ。できるだけまるっと愛していくタイプでいたいとは思っています。
フラッグツアーに関しては早い段階で都知事から継続をと言っていただいたものの、事務所のほうから継続を願い出たと報じられていたところが少しモヤっとしましたね。自分から言うんかーい。事務所のがめつさに笑うしかない。
島茂子リサイタルが大盛況だったのは、一重に愛されている証なのだと思います。
中の人、TOKIOで1番人集めるからな…マラソンのときも凄かったじゃん…。
とにかく3日間お疲れ様でした。
早起き頑張ってよかった。応援してますと伝えられてよかった。
彼女(?)の言葉を聞けてよかったです。
一歩一歩、踏みしめて、だな。
今日もTOKIOの話
昨日今日の記憶が薄い。
山口達也の事件のことでTOKIOが開いた記者会見。 それを見終えて、ただただ正しい男達でいるTOKIOに、あぁ好きだなぁなんて思いました。 拙い部分もあったと思う。でもそれもひっくるめて飾らないまま彼らでいることに、安堵したというか。
美談にするつもりだとかパフォーマンスだとか、色々言われるけど、彼らは彼の罪を彼以上に重く受け止めているし、目的の一つである謝罪の意を伝える、という部分は達成したかなとわたしは思います。
被害に遭われた方がどうか穏やかに過ごせますように。
起訴猶予と決まったのは、大方の予想通りというか、(でも罪は罪だからね?)と念を押されているわけで、これからどう向き合うかも考えなきゃだよなぁ、と。 結論が出せなかったのは、たかたが1週間で決められるわけないよね、と今は納得しています。
わたしはといえば、この1週間でいっそ解散しちまったほうがいい?!なんて浅はかなことを考えてました。 彼に帰る場所を残すべきだろうかとか、不在の彼を抱えたまま活動する4人は辛かろうとか、TOKIOの音を出せないTOKIOでいる必要ってあるのかなとか。きっとどう転んでも苦しい。苦しいから一番楽であろう解散をわたしは考えました。
ただ、辞めますと辞表を出してきたとリーダーの口から出たときはギョッとした。 それを出されて狼狽えた4人の気持ちと少し似ていたかもしれない。
ひとまずの課題は彼と向き合うところから、なんだな。
近くにいるわけじゃないけど、わたしも一緒に向き合えるかななんて考えてる。 できることなんてたかが知れてるけど、福島のきゅうり美味しかったです。さっき塩漬け仕込んだので明日もまた食べます。
ただ、彼の罪が消えないのと同じように、彼らの功績も消えないもので、継続が決まった仕事もあるから、だからこそ安易な解散ができないということでもあると思うんだけど、苦しいけど、苦しくても、彼らが決めることを受け入れていこうと会見を見て思いました。 そもそも彼らに整理できてないことをわたしに整理できるはずもないので、今は待ちます。 なんせ3年半待ちましたからね、もう待つくらいなんてことない。
彼らの抱えているものは本当に多く大きくて、ありがたいことに福島の方からのハッシュタグはとても温かくて、DASHのBBSもこんなんいつぶりだろってくらい様々なメッセージで溢れかえっていて、こんなにたくさんの人に彼ら(もとい鉄腕DASH)は愛されてるんだなぁと改めて実感しました。
で、思ったこと。 こんなにたくさんいるなら、あの、すみませんCD買ってください。(突然の私利私欲)
お薦めはいくらでもあるんだけど、手が出しやすいかなぁというところで一番最近のアルバム(4年前)を。
ファン投票で決まった選りすぐりの名曲どもが揃っております。是非。 southendの曲紹介で、僕らの好きな曲を皆さんが選んでくれて嬉しいと言ってくれた松岡昌宏ほんと好き。southendも大好き。 HIKARI さん大好き。
あともうひとつ。 みんなのリーダーがシングル出します。まさかの第2弾。
去年張り切ってリリイベ行ったしTOKIO売れろー!ってつもりで買ったら茂子の第2弾。 こんな展開、誰が予想しただろうか(困惑)
ミタゾノさんの主題歌です。カッコいいです。 今回TOKIO楽曲でなかったのは不幸中の幸いというか、この事件で販売中止なんてことにならなくて良かった。きっとTOKIOだったら売ることすらできなかったから。こちらもよろしければ是非。
さて宣伝もそこそこに。
愛されてる重圧が、もしあったとしたら、彼の苦しみになっていたとしたら、なんてことも考えるようになりました。 しっかりものほど鬱になりやすいんだっけ、無理させてたのかな、無理してたのかな。仕事、多かったもんな。 あれだけロケ出てたら、しんどいよな。
やったことは悪いことだしそれは変わらないけど。 しんどかったろうな、ちょっと休もうな。贖罪はそれからだ。
今もまだ出続けている他の4人も、できることならゆっくり休んでほしいんだよな。そうじゃなきゃ壊れてしまう。 みんなも働き方改革しよう…?
わたしこればっか言ってしまうんだけど、美味しいもの食べてよく寝ような。
最後に25周年の話。
長瀬の苦しそうな表情に胸が痛かったな。一番の悩みどころだもんな…。 今までのTOKIOの曲を奏でられないTOKIOは、正直苦しい。考えただけで苦しいし悔しい。 これからまた、ゆっくりでいいから。待ってる。 まずは達也のことから。
あとね、準備してたんです、喜んでもらおうと思って、って急にはにかんで笑う松岡昌宏かわいすぎじゃない?こんなときにずるくない? あなたこないだ25周年気にしないくらいなこと言ってたよね?匂い出してる、の言葉に淡い期待を抱いて、でもこだわらないなら…とか、結構ざわついたんだぞ。 でもこんなことで喜んでしまうからわたしはチョロい。ライブないの悔しいはずなのに嬉しい。結構キテる。
そういや達也も、今年に入って改めてベースの勉強してるんだーなんて言ってたような。 ちゃんと匂わせてたわ、彼ら。
まずは彼と向き合うところから、と思っております。 それで、彼らの決定に従う。それを受け入れていく。
彼らの功績と同じくらい、好きな気持ちも消えないもんで、これからも好きでいます。 また待ってます。それだけ。
終わってまた
まだ頭と心の整理はついていない。
あらゆる情報が飛び交って心がすり減りそうだけど、憶測は要らない。
被害者の女の子達には怖い思いをさせて本当に申し訳ない。ごめんなさい。
親御さんの言葉は優しいけれど免罪符にはならないと思う。許されちゃない。
何より誰より、誘い出した山口達也が悪い。
太一の言うように、自分の席があればなんて、言ってほしくなかった。
加害者であるお前が言うな。甘えるな。わかってるだろう。
それを決めるのは達也じゃない。達也以外のTOKIOだ。
それを望むのも達也じゃない。待っているわたし達だ。
まずはきちんと犯した罪を償ってほしいんだ。
ずっと僕らはひとつなんだって唄ったじゃないか。
TOKIOの音楽は、達也のベースの音がなければ、成り立たないんだよ。
誰かの音も声も何一つ欠けちゃいけないんだよ。
これまでも、これからも、5人でいてこそのTOKIOなのに。
それを達也は壊したの。
5人で積み上げた、抱えきれないほど沢山の大きな何もかもを達也は壊したんだ。
関わってきた全ての人に申し訳ない。
明雄さんごめんなさい。
後輩の中でも真っ先にコメントをすることになってしまって、泣きそうな声で話してくれた小山にも、ずっと一緒にそばにいて番組を作ってきてくれた桝くんの悲痛な表情も、たくさんの人に辛い思いさせてごめんなさい。
わたしだって彼のあんなみっともなくて情けない姿なんか見たくなかった。
太一のあんな悲しい顔も、険しい顔も見たくなかった。
散々、散々待ち焦がれたライブに思いを馳せてはやるせない。
長瀬が話してくれた、アルバムやツアーの準備をしていたこと。
ほんの3週間前の記事で松岡が話したこと、これまでの3年半なんて些細なことに思えるくらい、あと1年、もしかしたらあと数ヶ月待てば彼らに会えるかもしれないなんて淡い感情を抱いて、でも先が見えなくて泣いたこと、今になって準備始まってんだーってわかったら悔しくて悔しくて悔しい。何これ。悔しい。悔しい。悔しい。
なんてバカなことを、なんてことをしてくれたんだ。
やらなくちゃいけないことは、これから決まる処分をきっちり受け入れること。罪を償うこと。
現実に、被害者の方に、自分の罪に向き合うこと。
お酒と決別すること。
入院が必要なくらいに肝臓が悪くなるのは、退院したその日に飲んでしまうのは、マイクを持つ手が震えていたのは、そんなの素人目に見たってもう立派な病気だよ。依存だよ。弱さだよ。ちゃんと治療して、立ち向かって。
よく食べて、よく寝て。
昨日は友達と顔合わせた途端に泣いてしまったし、きっと毎日泣いて過ごしてしまいそうだけれど、どうやら日々の暮らしは心とは別に行くらしいので、連休は自由を謳歌してやるつもりです。
正月明け数週間も毎日泣いてたんよな。わたしも結構あれだよな。溢れたミルク…。
これから決まることをどれだけ受け入れられるかな。
今夜は眠ろう。
ドラマは明日にしよう。
いつかはいつなんだろう
俺節まとめたいなーなんてのどかに考えていたら飛び込んできたニュース
まだ頭も心も整理はついていない。
ねぇ達也何してんの。
バカなの?
ライブ散々待たせてまだ待たせるの?
もう待つことさえできないの?
たくさんの人に迷惑かけて、メンバーに心配させて、太一泣かせて、何してんの
なんて気持ちがぐるぐるしておる。だめだ。
酒癖女癖の悪さはちらほら聞いてはいたけれど、そういうことではなくて、時間が経つほど事態の深刻さは増していくし相手が未成年であること、過去に性犯罪でやらかしたタレントはほぼもれなく消えてること、考えるほど頭も胃も痛い。
示談が成立したことは免罪符にはならない
言い訳はきかない
混乱する頭で友達に頼まれてて粛々と雑誌を買いに行くなどしてみたものの、これでいいのか、こんなことに意味があるのか、これからどうしたらよいのか…
午後からの会見も心配。
謹慎か、活動休止か、はたまた、
嘆いたうえに泣いてみた、じゃダメだよね知ってる。知ってた。
でも奴らが抱えているものを思うと泣かずにいられなくて、福島の野菜の味は変わらないから、で堪え切れなかった。
まずは帰りにスーパー寄って野菜買う。
天のつぶも買うわ。
あとは会見の彼の様子と今後の処遇を見守る。
いつもならコメントする側だったのが、明日は我が身と頭ではわかっていたけれどまさかこんな形で当事者になるなんて、まして加害者だなんて冗談じゃない。
罪は償うこと。一生背負っていくこと。
思えば思うほどなんだか感傷的になってしまいがちだし中高生のポエムみたいなん書きたくないよーやだよーやだよー
彼には誠意のある対応を望んでおく。
まだ!頭の!整理は!つかない!
色とりどりの未来を
渋谷すばる脱退のことで、外野から申し訳ないのだけど何か言わずにはいられなかったから思わずブログを立ち上げたよ。
わたしが何を知っているわけじゃないしわかったようなこと言えないのは重々承知だけど吐き出したいから書くよ。
4月13日金曜日
Yahoo!ニュースで第一報を読んだときは正直(いやいや嘘だろすばる絶対エイト好きじゃん)って笑い飛ばしたんですよね。実際そう言うeighterさんも多かったように思います。そんなわけないじゃんあり得ないって。憤る人だっていた。
SMAP解散のときに散々出回った憶測記事なんか本当に信用してなくて、信じていいのはタレント本人が口にする言葉だけと思っているタイプだから、今回もまた根拠のないタチの悪い冗談だと思ってた。
2日後、4月15日日曜日
朝からなんだかTwitterが騒がしいぞ?うん?お知らせ?
と見ると入ったばかりのエイトFCからのメール。顔面蒼白。
やばい。本人来た。
やばい。本人出てきちゃった。
本人しか信用しないとか言うくせに本人出てくると狼狽するやつー!田口んときにわーってなったの急に思い出してぎゃーってなるやつー!お通夜みたいなスマスマ思い出すやつー!
もうね出先でプチパニック。ぼーっとしすぎて同行者に心配されるレベルで狼狽えた。
と、同時に(あ、あの記事本当だったんだな)って冷静に思う自分もいて。
最初にも書いたけどわたし外野なんです。
友達にeighterがいるからちょくちょくライブに行かせてもらってる、っていうレベルの。
毎年ライブがあって、コンスタントにリリースがあって、それなりに売れてて、毎年ライブがあって、アルバムも出して、ライブがあって、それだけで羨ましいなぁと、いつも思ってました。思ってます。
最近のエイト、めっちゃ恵まれてたじゃん。
関ジャムの存在ってきっと大きくて。
長瀬がお邪魔して以来めっちゃ面白いなって時々見ていたのだけど、どんどん辛くなってセッションパートは見ないようになりました。
音楽に触れる、学ぶ、突き詰める機会があるの、とても恵まれていると思ってました。
羨ましかった。そりゃあもう喉から手が出そうなくらい。血反吐吐きそうなくらい。
去年のアルバムで色々なアーティストの方に楽曲提供していただくと聞いたときはいつか見た懐かしい景色を見ているようで、きっと今度は自分たちの曲でアルバム作りたいとか言い出すんだろうななんて友人と話していました。実際錦戸が音楽と人でそう言っていてそっとページを閉じました。
メトロック決まったときなんか羨ましさがひっくり返って妬ましくなって正直(コケてしまえ!)なんて意地悪なことも思いました。だけど実際の評判は上々で、あぁこの人たちほんとにバンドとして実力がついてきたんだなって。
で、週明けに山口達也が「良い経験になったと思いますよ」と微笑むのを見て己の性悪さを反省したTOKIO担です。泣いた。サマソニ楽しかったね。
奴らに会えるなら希少動物になりたい。野菜でもいい。とりあえずそれは今は一旦置いておきます。泣いてます。
一昨年の暮れ、連れていってもらったライブで、バンドスタイルのエイトがめちゃくちゃカッコよかったんですよね。それ以前のライブでもバンドパートはあったはずなんだけど、あのとき初めて(うわーエイトめっちゃカッコよくなったなー!)って思ったんです。
広いドームの中に組んだバンドセットも、衣装の雰囲気も、メンバーの様子も。
(あ、わたしこの感じ大好きだ)と思いました。淡い懐かしさと親しみがすごくあった。その瞬間(違う、TOKIOだ)って気付いたから、TOKIOじゃない彼らに代わりを求めるのは筋違いだと、深入りはしまいと離れた、なんて経緯もありました。LYO唄ってくれたのも嬉しさとほろ苦さあったよね、うん。最初の1フレーズで沸いたあの瞬間忘れられない。
とはいえ離れると思ったものの嫌いになるわけでもなく、羨ましいなぁと思いながら彼らを眺めていました。
彼らの活躍を素直に喜べないこともあったけど、後に続く後輩がいる心強さもあったし、老いも若いも男子諸君がわちゃわちゃしてるのを見るのが好きなので。
うちのライブがないのはエイトのせいじゃないもんな。ごめんな。
勢いに任せて舞台見に行ったりもあったんだけどそれはまた後日まとめる。
話を戻そう。
今回の脱退の件は村上じゃないけどなんでや嫌やって思うんだ。
1週間経った今でも思う。
ふざけんなよー!って気持ちもある。
何を期待してたんだろうとも思う。
でも大倉が疑問は全てぶつけたと語るのを聞いて、あぁ全部ダメだったんだ。って。
頭の中で「自分がやりたい音楽をやるなら1人になったほうが楽だと思うんですよ」っていう長瀬の言葉がぐるぐるしていて。
すばるは1人になる道を選んだんだなって。
グループにいながら、日本でできることだって、いくらでもあると思うんだ。でもあらゆる選択肢を出しても引き留めきれなかった。
7人でやっていく答えが彼の中になかったのかと思うとやるせない、 それを受け入れた/受け入れるしかなかった残る彼らの気持ちを思うとさらにやるせない。
15周年を控えたこの時期に、これからと言うときになんてことを、と。そういや田口も10周年目前だったな。まだまだこれからなのに。これからだからか。
(あ、赤西がTwitterで元気になってたのはちょっと笑った。同類め)
会見も、左の人から泣いてるし笑ってるし拗ねてるしクマだらけだし神妙な顔してるし怪我でいないしまた泣いてるし、みなが俯きがちですばる以外は全然前向けてない様子で、でもコメントは一端に前向きで、まだまだこれからだなぁと思いました。
彼らが彼らの言葉で話す姿に誠実さと痛ましさを感じました。
ポジティブに捉え切れないわたしがもどかしい。
こざっぱりした顔で淡々と話す田口が頭の片隅に浮かんできたし、大きな目でまっすぐ前を見据えるすばるの、その有無を言わせない意思の強さに、溜息出ちゃった。
こりゃあ受け入れるしかなかったよなぁ。あー。
とりあえず目の下のクマめっちゃ気になったからよく食べてよく寝よう。な?
スイッチひとつで感情切替えられたらどんなに楽かと思うけど、そういうわけにはいかないので、ゆっくりひとつずつ刻みつけていこう。あー。
あ、あとあと、怪我の安田に関しては連載読み返すほど心のしんどさ感じてるんだよな。こんなことあったら躓くよね。背中お大事に。
連載のことも秋冬のライブがなかったこともあれも?これも?考えてしまって胃が痛い。
会見後最初のレンジャーでみなが各々にぎこちなくさりげなく日常を紡ぐ中すばるに触れずにいられない安田の人間くさいとこ好きだよ。ほんとお大事に。あー。
共に同じ道を歩むことも、互いの道を行くことも、それぞれがそれぞれに絆だと思うから、どちらが良い悪いとかそこに優劣はないとわたしは思うので、尊重しあうことが大事だと思うので。
ファンの立場からは彼らにどこまで求めていいものか、悩むこともあるし、かくあるべきと思いたいこともあるけど、幸せのカタチに決まりはないと教えてもらったから、思ってたのと違くても、そんときはそんときだから。
これからどうなるかなんてわかんないけど、どうにかしていくしかないよな、どうにかしていくんだろうな、どうにかしていこうな。不安なんて言いだしたらキリがないからな。
苦があるから楽があると思うし、光はちゃんと射すし、答えはこの先にある、はず。今までの景色も、これからの景色もきっと素晴らしいし、もっと素晴らしくしていこうな。悪くないって思えるようにちゃんとなるから。
明日が見えなくても、倒れても、また歩き始めるのが人だから。大丈夫。
日常に心がついていかないときがあっても、お腹は空くし眠たくもなるから、よく食べてよく寝ような。
10年後ずっとずっと笑って会えたら最高なんじゃないかな!
ってわたし自身に言い聞かせてる。つらい。あー!
当事者には後ろから刺されそうだけど他のグループのファンの子ももしかしたら自分のところがって考えよぎると思うんだ。
でもそんときはそんときだから、そんとき考えよう。
あとな、目標にされてなくても、尊敬されてないかもしれなくても、TOKIOはすばるを仲間扱いするからな。
赤西や聖のこと辞めても仲間だからって平気な顔して言う奴らだからな。
21年間、14年間お疲れ様。これからも。
とりとめもなく綴ってしまったけど、とりあえず、なんか、あれだ
すばるにもエイトにも幸あれ!!!!!!!
今はそんな気分。